三沢vs蝶野!時間切れドロー

新日本旗揚げ30周年記念興業
 蝶野対三沢の夢対決はフルタイムドロー―。プロレス界の2大団体を引っ張る新日本の蝶野正洋(38)とノアの三沢光晴(39)の頂上決戦は、30分の息詰まる熱闘の末、時間切れ引き分け。新日本プロレスの30周年記念興行で夢を実現させた両雄は、再戦と本格的な団体対抗戦を約束。新たな歴史を作り出すことを誓った。IWGPヘビー級選手権は、王者・永田裕志(34)=新日本=が高山善廣(35)=フリー=を破り、初防衛に成功した。(観衆5万7000)


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 見果てぬ夢が、確かに現実のものとなった。新日本の蝶野とノアの三沢。永遠に交わらないと思われていた2人がリング上で向かい合う。2日午後9時4分。新日本30年、いや日本にプロレスがやって来てから51年。マット界の歴史の針が激しく前へ動いた。

 蝶野のケンカキック。三沢のエルボー。両雄の鋭利な刃物が互いの肉体を切り刻んだ。激闘は時空をも超えた。20分過ぎだ。三沢が新日本の創設者、アントニオ猪木の必殺技の卍固めを繰り出した。蝶野は故ジャイアント馬場さんの得意技の河津落としを浴びせた。

 蝶野は猪木、三沢は馬場と、偉大な先駆者の遺伝子を受け継いだ。2人の戦いが時を飛び超え、夢に終わった「馬場対猪木」を引き出したのだ。25分過ぎには、黒の総帥が4月28日に亡くなったルー・テーズさん直伝のSTFでノアのトップを絞り上げた。試合は瞬く間に30分が過ぎ、両雄は「勝たなかったからダメだ」と反省した。決着が付かない物足りなさは確かに残る。しかし、2人はプロレスの未来へメッセージを送っていた。

 団体間の壁が邪魔し、ファンが望む選手同士の戦いが見られないことで、プロレスはK―1、PRIDEなどに押され気味だった。その弊害を三沢と蝶野が破壊。未来へ続く礎を築いた。三沢が明日へ光をともす。「これから先が重要だ」蝶野も「もう会社がどうこう言う時期じゃない。若いヤツらが団体に関係なく戦える環境をそろえなくてはいけない」と呼応した。

 試合後、T2000の天山広吉(31)が三沢にかみつき、次の戦いがもう始まった。新日本とノア。さらに小川直也、橋本真也のOH砲も絡むだろう。プロレスが新たな一歩を、確実に踏み出した。(福留 崇広)

 ◆三沢 光晴(みさわ・みつはる)1962年6月18日、埼玉県越谷市生まれ。39歳。81年8月に全日本プロレスでデビュー。以後、2代目タイガーマスクへの変身を経て全日本のエースに君臨。2000年8月に全日本を退団しノアを旗揚げし社長に就任。初代GHCヘビー級王者に就き団体のトップとして名実ともに活躍。得意技はエルボー。185センチ、110キロ。三沢光晴 本 DVD  

 ◆蝶野 正洋(ちょうの・まさひろ)1963年9月17日、東京都三鷹市生まれ。38歳。84年10月に新日本プロレスでデビュー。94年8月に3度目のG1制覇を達成後、武闘派のドンに転身。狼軍団、nWoジャパンを経て2000年にT2000を結成。2月からは新日本の現場を仕切る最高責任者に就任する。得意技はSTF。186センチ、108キロ。 蝶野正洋 本 DVD

 
 抗争を続行〇…藤波辰爾社長(48)は、ノアや小川、橋本のOH砲との対抗を今後も続けていく方針を明らかにした。試合後「本当によくやったと思う」と、大量離脱後のドーム大会の出来に合格点を与え「三沢、蝶野の試合、OH砲。ファンの反応を見れば、答えは出たんじゃないか。次への材料は出そろったと思う」とコメント。

 

 
 
◆2人に聞く

 ―引き分けに終わった。

 三沢「勝たなかったからダメだ。引き分けは負けに等しい」

 蝶野「課題が残った。気力、体力をもう1回、一から作り直す。大会全体は75点。マイナス25点はオレが勝てなかったことだ」

 ―互いの印象は?

 三沢「しぶとかった。ちょっと前なら勝てた。背負っているものの違いかな」

 蝶野「エルボーは強烈だった。入場時のファンのコールは悔しかった。ただ、ファンが団体の枠を超えた戦いを見たいというピュアな気持ちを感じた」

 ―今後は。

 三沢「これを機会に違う選手とできるなら…」

 蝶野「永田たち次の世代がベルトを争っていくだろう。まあ、オレが次にノアに上がったときは、あそこのポンコツ野郎どもをひざまずかせてやるよ」 (報知)

 

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